2012年08月28日
第3回 今さらながら、自己紹介
イギリスにいた頃のノート、英語と日本語がごちゃまぜ。
先日、NHK静岡の平山佐知子アナウンサーが打ち合わせのために、スタジオへいらした。8月28日(火)「たっぷり静岡」の“キラキラしずおか人”というコーナーで紹介してくださるという。
さて、およそ8分でどんなことをお伝えするんだろう?来年50歳になるんだよ。
「どういうお子さんだったんですか?」
「えーっ、そっから??(それは、先が長い)」
「んーっと。(なんか今につながること…?)あ、小学3年の時、入院した知り合いのお見舞いにシュークリームを作ったの。綺麗に箱に詰めて、“本原玲子謹製”って書いたらしい。」
「その頃から、もの作るのがお好きでいらした?」
「うん。幼稚園の頃から、糸と針をもって、お人形の服作ってました。」
「ご両親は?」
「ごくフツーの。信用金庫に勤める父と、専業主婦の母。母は、‘今日は、モディリアニ展を観にゆきましょう’と、父が出勤してから学校を休んで東京へ行って、夜は何事もなかったように食卓につく…。父は小学5年生の時に、‘お前は、成人式をやらない。かわりに外国でも行って来い。’と言いましたね。」
こんなふうに、人に尋ねられると、ちいさな点は線のようにつながって見える。
絵は上手くなかった。中学の美術の先生が大好きで、彼女に好かれたいがために、頑張っただけ。先生という立場でものを言わない、会ったことのない大人だった。努力をすれば、上手くもなるし、好きになる。中学1年でデザインだか、美術だか、そんな道へ進むんだと決めた。
高校1年から美大受験予備校に通い、現役で多摩美術大学グラフィックデザイン科へ進学。自分が具体的に、何に向いていて、何をやりたいのか、分かって行ったのではない。‘美大なんて意味がない、現役でうからなかったら、金は出さん!’と父が言うから、片っ端から受験日が違う科を受けて、たまたま受かったのが、多摩グラ。
大学に入ると、見事に“あら、ちがった。”広告とか、ぜーんぜん興味なく、立体の授業ばかりとって、パッケージデザイナーになった。そう、シュークリームのパッケージに、“本原玲子謹製”と書いたあの娘は、その道へ進んだ。が、またしても、“こりゃ、ちがう”事件。某・有名ポテトチップのパッケージは、3ヶ月ごとにデザインを変える。マイナーチェンジでも変えないと、日本のコンビニ戦線では勝てない。表面デザインを変えただけで、前年度比180%の売り上げになったお菓子も、翌年には目新しいデザインに変える。もっと人の暮らしに近い、誰かと一緒に年をとるようなものを作りたい。やっと、ワカッタ…その時、24歳なう。
イギリスで書いたmemoを焼き付けた作品“bits & pieces”2010
文字はタイピングされると、他人事みたいにニュートラルになる。
ここで、もう1つ行ったかもしれない道が、急浮上。
『私は、英語が好きだった。』
高校の英語の先生は、変わり者で、学期の初めに、英語の小説を原本で渡し、授業は教科書どおりやるくせに、試験はその原本から出る。オモシロカッタ、そしたら英語は全国模試で一番になった。父の予言どおり、成人式はやらずに、大学3年で友達とふたり、予算1日3,000円でヨーロッパ旅行に1ヶ月半でかけた。ロンドンに降り立った時、ここは住めると確信(カン違い)し、会社勤めをしながらも、いつか行くだろうと毎朝「NHKラジオ英会話」を聴いて出かけてた。だから迷いもなく、陶芸を学びにイギリスへ留学したのだ。
うっわぁ~~~、長ぇーーーーよ、この人の話。
と、いう訳で、平山さんは私の“土”の仕事を紹介して下さいます。
ふり返れば、子供の頃、どんなオトナに出会ったかは大きなコトで、今、自分がこども向けのワークショップを行っているのは、こんなんでも、大人になって生きてるよ、と言いたいのかもしれない。このコラムは、旅行の話を書くんだと思ってたと父は言ったが、あっちゃこっちゃした私の49年はおもしろい旅として、今さらながらの自己紹介です。皆様、ご清聴、ありがとうございました。
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◆ほかの回のコラムを読む
第1回 ベルギー・オランダ、ビールの旅
第2回 おそれ入ります、お庭ちゃん。
第3回 今さらながら、自己紹介
第4回 土がわたしにくれたもの
第5回 よそもの視点、旅人目線
第6回 すべてのわざには時がある
第7回 『100gのキモチ』 (最終回)
Posted by eしずおかコラム at 12:00